カンボジアでの和解の試み

 2016年6月17日のNHK・BS「国際報道2016」で、カンボジア関連の小特集が放送された。1970年代、大量の虐殺等がおこなわれたポルポト政権下の歴史にかかわる報道だ。ひとつは、虐殺等の加害者と被害者との間に和解を実現しようとする試みに関するレポート。もうひとつは、7月から岩波ホールで公開される映画「シアター・プノンペン」の紹介だった。

 
 加害者・被害者の和解を目指す試みは、The Transcultural Psychosocial Organization (TPO) Cambodia というNGOがその広範な活動の一環としておこなっているもの。同NGOは、DV被害者へのケアなどをも行うメンタルヘルスの専門家たちで構成されている。
 プロジェクトのメンバーは、加害者と被害者それぞれと話をしながら対話を促し、両者が合意した際には話し合いの場をもうける。複数回の対話を通じて加害者は被害者に謝罪し、被害者はそれを受け入れて和解する。和解後は寺院を訪れて和解を報告し、友人として生きていくことを誓うのだという。
 ただし、過去二年間の取り組みで、和解にいたったのは二件のみ。当たり前のことだが、やはり和解というのは、そう簡単なことではない。

 カンボジアにおいて加害者と被害者は、ひとつのコミュニティ、ひとつの社会のなかで「隣人」として生き続けなければならない。その日常はどれほど重く、苦しいものだろうか。こうした日常を強いられた一人一人の人間に寄り添い、彼らが抱える問題と誠実に向き会おうとする活動に、敬意を表したい。
 和解を促そうという試みは、ある意味で暴力的だ。その厳しさ、重さを意識し、自覚しながら、和解という問題を考えたい。少なくとも、被害当事者にとっての「出来事」の意味を忘れ、抽象的な人間集団間の(たとえば「日本」と「韓国」との政治的・文化的レベルでの)「和解」を語るなどということを、私はしたくない。 
 
 映画「シアター・プノンペン」は、主人公の若い女性が、両親の過去=ポルポト時代の重い記憶と出会っていくという話らしい。東京では、7月2日から岩波ホールで公開。